国土庁が三全総の洗い直しを始めたのは一九八一年の夏である。国土総合開発審議会のもとに設けられた五つの専門委員会が翌八二年になって相次いで発表した報告は、計画と現実のずれをつぎのように指摘した。「産業構造のなかで、製造業の落ち込みがつづき、サービス産業が予想を上回るスピードで伸びている。このため、これまで人口の地方分散のカギを握るとされてきた工業の地方分散はにぶり、新規立地は低調になっている」(産業専門委員会)。
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このため、同専門委は、地域の特性にみあう「地域産業」の掘り起こしが必要とし、一部地域での先端技術工場の導入や大分県の「ふるさとをおこす一村一品運動」などをモデルとしてあげた。人口の動態でも、計画と違う現象が指摘された。最大のものは人口増加率の急激な低下である。(三全総一九七七年)は女性一人が産む子どもの数を、二年後の一九七九年には二・二六人と想定していたが、統計がまとまってみると実際は一・七七人に低下していた。これは、三全総の予想をはるかに上回る高齢化社会の到来を予告するものだった。